刮目天の古代史だ!

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【刮目天の古代史】科学的に解明された日本の建国!(#^.^#)

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奇跡の日本人 3つのY染色体ハプログループが日本列島で再会した!
三橋TV

 

後半のお話の、神武天皇から開化天皇までが存在しなかった根拠はすでに明らかにされていますよ(10:26から)。


考古学の成果からヤマト王権の発祥は三世紀後半の纏向型前方後円墳からはじまって、その後列島各地で前方後円墳が盛行されたことから説明されています。三世紀以前の大和盆地で王墓と呼ばれるものが見つかっていません。三世紀後半に大和盆地の中で戦争が行われた考古学的な証拠もありません。ですから編年体で書かれた日本書紀の記述の神武天皇東征はなかったと分かります。


そして、第十代崇神天皇が列島統一のために四道将軍を派遣した事績から初代天皇(ハツクニシラススメラミコト)と推論されています(実は、その推論は間違いですが)。

日本の古代史の謎は、事実、つまり考古学や民俗学などの成果と、現存する最古の歴史書とされる古事記や最古の正史日本書紀との不一致が原因なのです。

多くの方は記紀が「天皇の歴史書」だと学校で習っているので、その中に真実が隠されていると考えるのは構いませんが、記紀のストーリーから仮説を作っても事実と合致しないのです。なぜなら、日本書紀は勝者藤原不比等の創作した歴史書だからなのです。不比等にとって建国時代に活躍した豪族たちの史実が都合が悪いので、これを隠すために作ったデタラメな歴史書だったからなのです(詳細は「【刮目天の古代史】記紀が「天皇の歴史書」は思い込みだった?」参照)。
現存する最古の歴史書とされる古事記は9世紀に突然登場したもので、正史に古事記の記録はないですし、日本書紀古事記を参照した痕跡がないのですから、偽書なのです。不比等が隠した史実を藤原氏に悟られないように暴露する暗号書だったのです。先代旧事本紀古史古伝古事記と同じ目的で作られたものですが、多くは、藤原氏にバレた時のことを考えて荒唐無稽な話で誤魔化しています。

ですから、記紀などから想像した話を仮説としても、事実で検証すれば空想だったと分かります。つまり不比等の罠なのです。

邪馬台国問題も、なぜ解決できないのかは同様に、邪馬台国への行程記事が政治的に作られたデタラメなものだということを無視するからなのです。魏志倭人伝西晋の史官の陳寿によって残されたその目的に気付かず、正しく書かれているはずだから正しく解釈すれば解決するという考えから抜け出せないのです。そして、自説に都合の好いように行程記事を解釈して、それで満足し、様々な事実で仮説を検証しようとしないからなのです。全く科学的でないのです(#^.^#)

畿内説の纏向遺跡が有力といわれていますが、卑弥呼の生きていた三世紀前半までの纏向遺跡に、倭国の玄関口の伊都国などの北部九州の人々がやって来た考古学の痕跡がないのです。それにもかかわらず、都合の悪い事実、つまり3世紀の九州からの外来土器が1%以下であるのに、他の地域と同等に来ていたと主張するだけで、ウソで誤魔化しているので解決しないのです(「【邪馬台国問題】畿内説はインチキだよ!」参照)。

ではどうやって真相にたどり着くことができるかですが、日本の古代史の解明は不比等が何を隠したかったのかを推理していくつもの事実で検証していく、アブダクションと呼ばれる第三の推論法によって科学的に解明しています(詳細は「【刮目天の古代史】古代史を推理する」参照)。勿論建国の過程で邪馬台国卑弥呼が登場しますので、考古学の成果から邪馬台国も、卑弥呼の正体も、行程記事を書いて教えた倭人の正体も解明しています。よろしければ「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」「伊都国の意味がヒントだった?」「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!」などをご参照ください。お邪魔しました。

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王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆ 
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)





 

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