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#前回の動画のタイトルに関する前半の内容について以下の内容のコメントをしたので、よろしければ、お付き合いください(;^ω^)
奇跡の日本人 3つのY染色体ハプログループが日本列島で再会した!
三橋TV
前半の話ですが、日本人のルーツに関してもう少し詳しい内容が分かっています。Y-DNAのOは主に5つ(O1a、O1b1、O-47z、O1b2*、O2)に分かれます(詳細は「日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!」参照)。
①O1aは長江文明の良渚文化の担い手で、BC2200年頃、大洪水によって集落が消滅し、人々は主に台湾やフィリピンなどに逃げますが、一部が黄河流域に移動して二里頭文化の担い手(夏王朝を建てた禹王の子孫)と考えられています(脳科学者中田力「科学者が読み解く日本建国史」PHP新書943)。
②O1b1はシナ大陸南部から東南アジアに広く分布するオーストロアジア語族で、春秋時代の越の人々です(O-M95)。
③O1b2の中のO-47zが長江下流の河姆渡文化の担い手の漁労と水田稲作を行った倭人と呼ばれる人々で、半島に居た縄文人と混血し、日本に水田稲作を持ち込んだ人々です。本土日本人の中の25%もいます。ちなみに縄文人D-M55が約40%、C-M8は3%程度です。
④O1b2*(O1b2からO-47zを除く)の人々は長江下流域から山東半島方面に北上しさらに黄河中流域で二里岡文化の担い手となった人々です(殷王朝を建てた人々)。殷王朝末期(BC12世紀)にその一部が半島北部に移住しました。箕子朝鮮を建国したO1b2*の人々です。半島人のおよそ1/3です。本土日本人にも約8%います(多くは日韓併合時代だと思います)。
⑤シナ人はO2です。半島人の約4割で、本土日本人男性の18%もいます。
先史時代から男性の子供は一定の年齢になると父親についてOJTにより学習し、部族を形成するので、民族移動とY-DNAの移動は大体一致します。斎藤成也教授の「「核DNA解析によって推定される日本列島への人類集団の移住の歴史(Wiki日本人)」で提唱された三段階移動説をY-DNAで説明できます(詳細は「日本列島に集まった人々とは?」参照)。
シナの三皇五帝神話もY-DNAで説明できますが、これが日本民族の神話だと分かりましたよ(「【刮目天の古代史】天皇陛下とは何者ですか?」参照)。
先史時代の朝鮮半島ですが、約7200年前の鬼界カルデラ噴火によって九州南部の縄文人は壊滅し、九州中部の人々が半島に移住しています。また日本海沿岸を根拠地とする縄文海人族の男性は黒曜石をもって半島北部や遼河文明の人々、(遼河人)や沿海州の人々と交易し、帰りに気に入った嫁さんを連れて戻ってきたと推理しています。そのために日本列島のmt-DNAは多様になっていると考えています。当然、話し言葉も北東アジアのアルタイ語の文法とオーストロネシア系(越人・倭人系)の語彙が混合している独特の言語になっているのだと考えています。
現代の半島の人々と古代の人々はかなりメンバーが異なります。詳しい話は「【刮目天の古代史】半島の古代史の謎!」をご参照ください。百済人は現代半島人ではなく、倭人系ですよ(#^.^#)。
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【分かった!】日本人の形成過程!(^_-)-☆
縄文時代は母系社会でしたが、男性は集団で、集落の外に出て、狩猟や海外との交易を行っています。
隠岐の島の黒曜石が沿海州や半島などで出土しています(「いにしえの島根/第一巻・磨かれた技・豊かな資源」(島根県HP) 参照)。
母系のルーツが分かるミトコンドリアmt-DNAの解析結果です。縄文時代からすでに多様なDNAが列島に集まってきていることが分かりますよ(^_-)-☆

日本人に最も多いハプログループD (mtDNA)は北東アジアでよく見られ、朝鮮民族でも高頻度のようです。樺太のツングース系のウィルタ、ロシア連邦・モンゴル・中共に住むモンゴル系民族のブリヤート人、キルギスのモンゴル系カルムイク人、南アルタイのテレギント人などでもよく見られるそうです。パレオ・インディアンやロシア沿海州(悪魔の門)及び中国東北部の新石器時代初期の遺跡(吉林省大安市にあるホウタオムガ遺跡、内モンゴル自治区通遼市にあるハミンマンハ遺跡等)でも最も頻繁に見られるハプログループであるとwikiにあります。
【刮目天の古代史】弥生時代渡来人の正体?

史書を考慮するので、ADMIXTURE解析よりも日本人のルーツが明確になりますよ。【参考記事】東大の結果:https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/10527/
中国神話は日本人の神話だった?
【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その19)7.記紀と日本人の信仰の謎⑤ 
「呉音」はいつ日本に入って来た?
【参考文献】
藤尾慎一郎「数値年代とDNAがもたらすこれからの弥生文化研究」
考古学雑誌Vol.105No.2、2023,pp.89-103
上図にある愛知県朝日遺跡の人骨は紀元前6世紀後半(弥生時代前期)のもので、「篠田(謙一)氏によれば、これまで分析した弥生時代人の中ではもっとも中国北部西遼河流域の新石器人に由来する遺伝的要素を多く持っている」とのことです(p.100)。2体について篠田氏らによるミトコンドリアDNAの解析結果はありましたが、「弥生時代以降に大陸からもたらされたものであると考えられる。」とありました。Y染色体DNAのハプログループの情報は分かりません。約5千年前の三内丸山遺跡の遼河人系(N1)の人々は、現代日本人男性の1%以下ですが、彼らの子孫との弥生時代の縄文人または倭人との混血が考えられます。
また上図の説明(最終段落)にある、現代日本人(ヤマト人)に近いDNA解析結果が出た獐項遺跡(約5,000年前)の人骨は韓国加徳島です。篠田氏らによって2019年に発表されています(「ゲノム配列を核としたヤポネシア人の起源と成立の解明」令和2年度科研費事業中間報告書)。その中に「縄文人のゲノムが現代ヤマト人と同程度(~10%)含まれていることを発見した。これは現代韓国人に含まれる縄文ゲノムの割合(ほとんど0%)と比べて明らかに異なっている。」とあります(p.10)。
上の図から分かるように、獐項遺跡の人骨は、翌2020年に同グループでDNA解析結果が報告されている青谷上寺地遺跡の人骨とほぼ同じ縄文人の人骨です(「鳥取県鳥取市青谷上寺地遺跡出土 弥生後期人骨のDNA分析」)。青谷上寺地遺跡の性別が明記された5体の男性人骨のY染色体DNAのうちC型縄文人系C1a1(C-M8)が2体あったのは分かりました。1体は不明ですが、DタイプとOタイプまでしか記載されていないものが各1体もありましたので、それぞれD型縄文人系D1a2a(D-M55)と倭人系O-47zではないかと推測しています。獐項遺跡の縄文人のものも含めて、これらの詳しいハプロタイプも知りたいところです。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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